講演会告知


リュシアン・ジョーム氏講演会
フランス国立科学研究センター(CNRS) 名誉主任研究員

 


2017年4月1日(土) 16時30分開始(16時00分開場)
慶應義塾大学 三田キャンパス 東館4階セミナー室
フランス語講演(通訳付き、登録不要)


リュシアン・ジョーム(Lucien Jaume)

1989年からフランス国立科学研究センター(CNRS)の主任研究員を務め, パリ政治学院のCEVIPOF(政治研究センター)のメンバーになる。CNRSの退任後も、パリ政治学院とパリ・カトリック学院で教鞭を執っている。リベラリズムとその歴史の専門家として世界的に著名であるだけでなく、ヨーロッパの問題についても造詣が深い。代表作『消えゆく個人-フランス・リベラリズムの逆説』(L’individu effacé ou le paradoxe du libéralisme français, 1997)はギゾー賞およびフィリップ・アベール賞を得ている。

主催:宮代康丈研究室(慶應義塾大学総合政策学部)
助成:平成29年度小泉信三記念慶應義塾学事振興基金

過去の講演会


ティエリ・ゴンティエ氏講演会
リヨン第3大学教授(道徳哲学・政治哲学)

 

動物の人間性・人間の動物性 ― モンテーニュ「レーモン・スボンの弁明」から考える(Humanité de l’animal, animalité de l’homme dans l’ « Apologie de Raimond Sebond » de Montaigne)
2016年7月8日(金) 18時開始
慶應義塾大学 三田キャンパス 南館4階会議室
フランス語講演(登録不要, 通訳なし)


ティエリ・ゴンティエ(Tierry Gontier)

ティエリ・ゴンティエ(Thierry Gontier)リヨン第3大学教授(道徳哲学・政治哲学)
形而上学・認識・倫理・政治などの多面的な角度から, 近代の人間学について研究を続けている.その幅は, プラトニズムを始めとする古代哲学との関係だけでなく, 20世紀政治哲学との関わりにまで及ぶ. 近著に, La question de l’animal. Les origines du débat moderne (Hermann , 2011), Politique, religion et histoire chez Eric Voegelin (Cerf, 2011), Voegelin. Symboles du politique (Michalon, 2008)など.

主催:宮代康丈研究室(総合政策学部)
協力:エラスムス・ムンドゥス〈ユーロフィロソフィ〉法政プログラム

デイヴィッド・ミラー『ナショナリティについて』のキーワード集

キーワード集

デイヴィッド・ミラー『ナショナリティについて』

2014年度秋学期 宮代研究会「現代の政治哲学・倫理学(理論)」

 

 2014年度秋学期の宮代研究会「現代の政治哲学・倫理学(理論)」では、デイヴィッド・ミラー著『ナショナリティについて』(富沢克・長谷川一年・施光恒・竹島博之訳、風行社、2007) を輪読文献の一つとして取り上げた。読解と討論が進むにつれ、研究会のメンバーから、本書のキーワードをまとめれば、ミラーの考えをいっそう深く理解することに役立つのではないかという声が上がった。このキーワード集は、研究会の有志の学生たちがキャンパスで授業外にも会合を持ち、またウェブ上で共同作業を重ねたことの成果である。
 ミラーの考えでは、ナショナリティというものには三つの命題が含まれている。一つ目はナショナル・アイデンティティに、二つ目は倫理的共同体としてのネーションに、三つは、政治的自己決定への要求に関わる。この捉え方を踏まえて、参加メンバーがキーワードとして取り上げた項目は以下の通りである。なお、本文中に記されているページはすべて、邦訳のそれである。

 

* * *

 

《目次》

1,ナショナリティ
・ネーション
・ネーションと国家
・ネーションとエスニック集団

2,ナショナル・アイデンティティ
・ナショナリティの原理
・共有された生活様式(エートス)
・公共文化

3,ナショナルな倫理・ナショナルな義務
・倫理的普遍主義と倫理的個別主義
・ナショナルなレベルでの義務
・グローバルなレベルでの義務
・基本的権利

4,ナショナルな自己決定
・多文化主義
・社会正義
・主権
・分離独立
・熟議民主主義
・理性的熟慮

 

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1,ナショナリティ

・ネーション

 ネーションは、無自覚で自然的な(なんらかの民族や血族を基盤とする)共同体ではなく、あくまでも倫理的な共同体であるとミラーは考える。ミラーによるナショナリティの原理の擁護はこのようなネーション観に基づいている。
 ミラーのネーションの捉え方は次の5点を特徴とする。
 1. ネーションは構成員の相互承認と信念によって成り立っている。お互いを同胞だと認めあい、自分たちがある重要な特徴を共有していると信じている時にネーションは存在する。
 2. ネーションは過去と未来への広がりを持つ。現在の構成員だけで放棄できるものではなく、また同時代の人々だけで共有するだけのものでもない。
 3. ネーションに対するアイデンティティは能動的である。ネーションは単に与えられた共同体ではなく、人々が互いに協力して行動し、決定し、達成することで日々形成されていくものである。
 4. ネーションは、領土を媒体にして、政治制度としての国家と結びつく。
 5. ネーションは共通の公共文化を持つ人々の集団であり、単なる偶然の産物ではない。公共文化とは、人間がともに生活するための一連の理解のことであり、民主主義への信頼や法の支配といった政治上の原理、またあらゆる社会規範を含む。
(p. 18 sq, p. 39 sq.を参照)

 

・ネーションと国家

 ミラーはネーションと国家を次のように区別する。ネーションは、政治的な自己決定への強い願いを持つ人々の共同体を指すのに対し、国家は、共通のネーションの認識を持つ人々が自らのために保持することを望む一連の政治制度のことである。
(p. 35を参照)

 

・ネーションとエスニック集団

 エスニック集団は、共通の文化的特徴や相互承認によって結びついた集団であるという点で、ネーションと混同されやすい。また、 人々に固有のアイデンティティを与え、ネーションの起源となることが多く、ナショナル・アイデンティティの潜在的な起源であり続けるという点でも、ネーションと重なりあう。しかし、アメリカ合衆国のケースのように、一つのネーションのうちに複数のエスニシティが含まれることもあるので、両者は同一のものではない。
(p. 36を参照)

 

2,ナショナル・アイデンティティ

 ナショナル・アイデンティティとエスニック・アイデンティティを混同してはならない。ただし、ネーションは、多くの場合に、特定の領域における支配的なエスニック集団から形成されてきた。それゆえ、ナショナル・アイデンティティには、なにがしかのエスニックな要素が含まれざるをえない。
(p. 216-217を参照)

 

・ナショナリティの原理

 ナショナリティの原理は、私たちが何らかのナショナルな問題に、個人としてもしくは市民として、実際上の対応を迫られたときに理性的な指針を与えてくれる。この原理は、ナショナル・マイノリティに対して特別な権利を付与することを目指しており、こうした権利の正確な形態は、個々の事例に左右される。
 また、ナショナリティの原理には、シティズンシップの共和主義的構想や、政治的決定をなす最善の手段としての熟議民主主義への志向が含まれる。
(p. 5, p. 254 sq.を参照)

 

・共有された生活様式(エートス)

 エートスとは共同体の構成員に共有された生活様式や生き方のことであり、普遍的な定義を持つ基本的権利の解釈の仕方に大きな影響を与える。
 共有された生活様式はナショナル・アイデンティティの構成要素である。この「ナショナル・アイデンティティの保全の政治的条件」に着目し、「ナショナルな自己決定という大義の追求」をナショナリティの原理は求める 。このことは、国境や分離独立の問題において、リベラル派とナショナリストの見解のちがいを生む。
(p. 184 sq.を参照)

 

・公共文化

 公共文化は、「ある程度は政治的論議によって作り出され、そしてマスメディアによって普及していく」のであり、そこには「イデオロギー的色彩」が伴う。
 ミラーの考える公共文化は一枚岩ではなく、ネーション内部にさまざまな私的文化が存在する余地も残す。ナショナル・アイデンティティは公共文化を共有することで支えられている以上、公共文化はなくてはならないものである。ただし、ネーションのなかに私的文化があってはならないとミラーは言っているわけではない。
(p. 121参照)

 

3,ナショナルな倫理・ナショナルな義務

・倫理的普遍主義と倫理的個別主義

 倫理的普遍主義の基礎になっているのは、人間一般の能力をそなえた個人である。こうした個人は、その他の諸個人との関係とは独立し、またそれに先立つ目的とみなされる。このタイプの倫理では、個々人の義務は他者に関するごく一般的な事実によってのみ決定される。たとえば、困窮しているAに対するBの義務は、AとBのあいだに具体的にどういう人間関係があるかといった点とは関係なく、BがAの困窮を軽減できるだけの財を所有しているのであれば、「貧しい人を救済せよ」という一般的原則に従って決定される。
 倫理的個別主義では、個人間の関係が倫理の基本的内容をなす。したがって、倫理の根本原則は、そのような個人間の関係と直接的に結びつく。個人は他の特定の個人や団体、集団とさまざまな形で結びついたり関与したりしている。倫理上の問題を考えるときには、こうした個人間の特定の関係を出発点にせざるをえないと倫理的個別主義は考える。
 ミラーは倫理的普遍主義にも倫理的個別主義にもそれなりの説得力があるとし、両者の妥協案を探る。
(p. 93 sq. 参照)

 

・ナショナルなレベルでの義務

 ナショナルな義務は、共通のナショナリティに由来する。現代の国家で一般におこなわれている再配分の原理は、厳密な意味での相互性や互恵性に基づくわけではない。永久に見返りを期待できないような不利な立場にある構成員にも、国家という強制機構によって、機会と資源が与えられなければならないと見なされるからである。したがって、再配分のようなナショナルな義務はナショナリティに基礎を置いている。
(p. 124-126参照)

 

・グローバルなレベルでの義務

 個人間で発生する義務は、倫理的普遍主義者が支持するような基本的権利の理論によって説明できる。このタイプの義務は、私たちがお互い同じ人間であるということのみに由来する権利に対応する。ネーション間の義務においては、上記の基本的権利に、私たちが共同体の構成員として負っている特別な責任が加わる。ミラーの考えによると、普遍的人権の保護はまず同胞ネーションの成員へと向けられるべきであり、ほとんどの場合、自分が所属するネーション以外の人々の人権を保護するために他国へと介入することが正義によって要請されることはない。
(p. 128 sq.)。

 

・基本的権利

 基本的権利とは、身体の保全、人身の自由、最低限の財産といったものへの権利である。
 ただし、基本的権利についての私たちの理解は、私たち自身の共同体のエートスによって影響されている。したがって、何が基本的人権として重視されるべきかという点は共同体によって異なることがありうる。たとえば、正規の学校教育を基本的権利のひとつと考える共同体もあれば、学校教育は文化的な結びつきを破壊するものであると考える共同体もある。基本的権利の原則は普遍的なものであるが、それに対する私たちの解釈や現代社会での実践方法はエートスによって影響される。
(p. 128 sq.)。

 

4,ナショナルな自己決定

・多文化主義

 急進的多文化主義は次のように主張する。国家は、個人や集団の多様なアイデンティティが共存し、繁栄することのできる論戦の場でなければならない。それぞれのアイデンティティに対して国家は寛容な取り扱いをし、また平等な承認を与えなければならない。個々人のアイデンティティに関しては、各構成員が自己のアイデンティティを見いだせるのは、自分がもっとも親近感を抱く集団との関係においてである。
 ミラーの考えでは、この急進的多文化主義を突き進めると、同じ政治社会のなかに住んでいるということ以外に何も共有のアイデンティティを持たない集団に対してすら、マジョリティが平等な尊敬と処遇を与えなければならないという現実離れした要求に至ってしまう。
(p. 213、p. 230、p. 243参照)

 

・社会正義

 ネーションは、構成員が相互に基本的利益を保護する義務を承認するという意味において、義務の共同体である。こうした義務が実行されるためには、構成員のそれぞれに義務を割り振り、その履行を強制しなければならない。こうしたことは、ナショナルな国家が存在することによって効果的におこなわれうる。社会正義は、相互性の原則を基軸とするシティズンシップの義務だけで説明しきれるものではなく、その実現のためには、ナショナリティに基づく義務がシティズンシップの義務に付け加わらなければならない。
(p. 149-150参照)

 

・主権

 主権を持つということは、「一連の問題に関する決定の最終的権限、とくに立法の最終的権限」を持つということである。
 国家の主権には、対内的主権と対外的主権という二つの側面がある。対内的主権を持つということは、国家がその「領域内で生じるすべての事柄に関して最終的権限を持つ」ことである。対外的主権は、国家の決定が「他国であれ、他の主体によって覆されることはありえない」ということを意味する。
 ナショナリティの原則にはナショナルな自己決定という考えが含まれるが、この考えは国家による無制限の主権の行使を含むのか否かという点をミラーは検討している。
(p. 171-172参照)

 

・分離独立

 既存の国家領域や宗主国から分かれて独立すること。スペインとカタロニア、イギリスとスコットランド、カナダとケベックなどを例に挙げながら、一国内に複数のアイデンティティが存在するケースや、分離独立を正当化する条件をミラーは論じている。
(p. 147を参照)

 

・熟議民主主義

 熟議的民主主義は、合意への到達を目標とした様々な決定を、開かれた、強制のない議論を通じて行われるべきであるとする理念である。ミラーの考えでは、民主主義に熟議的要素がない限り、民主主義の正当性は疑問視され、悪い政策を生み出す可能性も高い。
(p. 167)

 

・理性的熟慮

 公共文化とそこから導かれるナショナリティの義務やナショナル・アイデンティティは、現在に至るまで伝統的に受け継がれてきたからという理由で正当であるわけではない。それらは、「共同体の構成員が対等な立場で参加しうる理性的熟慮」を経て形作られてきたものであるからこそ道徳的正当性を持つ。
(p. 123参照)

2015年5月31日